月明かりの砂浜で、溶け合った夜
潮の香りが、夜の窓辺から忍び込んでくる。
白いカーテンが、波のリズムに合わせて静かに揺れ、遠くから寄せては返す音が、まるで心臓の鼓動と重なるように響いていた。
私は、仕事の合間に取った有給を使い、南の島へ一人で訪れていた。
昼間は透き通る海で泳ぎ、夜はラウンジで一杯だけカクテルを飲む。そんな、予定のない休暇。
その夜、ラウンジのカウンターで、隣に座った男性がいた。
白いシャツに少し日に焼けた肌。グラスを指先でゆっくり回し、その横顔は落ち着いた大人の余裕を漂わせていた。
「お一人ですか」
低く、艶のある声。私が頷くと、彼は口元だけで笑い、グラスを軽く掲げた。
「じゃあ、乾杯を」
氷が溶ける音と、静かなBGM。会話は自然に続き、時間の感覚が溶けていく。お互いの素性は深く話さなかったのに、不思議と安心感があった。
「少し、海を歩きませんか」
誘われるままに、私はサンダルを脱ぎ、ひんやりした砂に裸足を沈めた。
夜の海は、昼間とは違う顔をしている。月明かりが水面を銀色に染め、彼の横顔をやわらかく照らしていた。
やがて波音だけが響く場所で、彼が立ち止まった。
肩に触れる指先が、夜風よりも温かい。
次の瞬間、唇が触れた。最初は触れるだけの軽いキス。けれど、彼の手が私の腰に回ると、口づけは深く、熱を帯びていった。
舌がわずかに触れ合った瞬間、全身が震えた。
彼の呼吸が私の頬をかすめ、潮の香りと混ざる。
そのまま抱き寄せられ、心臓が速くなる音まで聞かれそうだった。
ホテルに戻ると、部屋のドアが閉まる音がやけに大きく響く。
その音を合図に、彼は私を強く引き寄せ、唇を重ねた。
シャツ越しに感じる体温がじわりと伝わる。背中を滑る指先は、ためらいなく服の隙間を探し、肌に触れた。
生ぬるい手のひらが背中から腰へと滑り、熱がそこに集まっていく。
耳元で囁く低い声が、身体の奥まで届くようで、膝がわずかに震えた。
ベッドに押し倒され、白いシーツが冷たく肌に触れる。
その冷たさと、彼の熱い唇のコントラストに、息が詰まりそうになる。
唇が首筋を辿り、鎖骨のくぼみに触れるたび、背筋がぞくりと震えた。
指先が太ももに触れた瞬間、呼吸が乱れる。
彼はその反応を楽しむように、ゆっくりと、けれど確実に深く触れてくる。
全身の神経がそこに集中し、声が漏れそうになるのを噛み殺した。
名前も知らない相手なのに、彼の動きは私の奥を正確に探り当てる。
身体が求めるままに、波のような快感が押し寄せ、何度も飲み込まれた。
夜が明けるまで、私たちは言葉少なに、何度も互いを確かめ合った。
窓の外では、波が変わらず寄せては返していた。
朝、カーテンの隙間から光が差し込み、目を開けると、彼の姿はなかった。
枕元には、一輪のブーゲンビリアと、小さなメモが置かれている。
“Thank you for the beautiful night.”
それが、彼からの唯一の言葉だった。
もう会うことはない──けれど、月明かりの砂浜と、彼の熱は、今も私の中で鮮やかに残っている。
(了)
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